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カスカスキア (Kaskaskia) は、アメリカ合衆国イリノイ州、ランドルフ郡 (Randolph County) に位置する村。2000年の国勢調査で、この村の人口は9人である。2010年の国勢調査では14人となり、アメリカ国内で2番目に人口の少ない自治体となった。 この村は、1820年にヴァンダリアに遷都されるまで、イリノイ州の最初の州都であった。 == 歴史 == カスカスキアの歴史は、1703年にフランス系移民により開拓されて始まった。この当時は、ミシシッピ川は同地域の西側を流れており、後のイリノイ州本土となる地域とは地続きになっていた。また当時は同地域の政治・経済・文化的な中心地となっており、イリノイ州が正式なアメリカ合衆国の州として成立した1818年、この町に最初の州政府が置かれることとなった(後に前述の通りヴァンダリアに遷都され、1839年より、州都は現在のスプリングフィールドになっている)。 その後、1881年にミシシッピ川が氾濫し、カスカスキアは壊滅的な被害を受けた(この洪水は単なる自然災害ではなく、「カスカスキアに住んでいた毛皮商人の男が、自分の娘と駆け落ちしたネイティブ・アメリカンの男性を捕まえて殺害したための『呪い』によるものである」 (Curse of Kaskaskia) とする言い伝えも存在する)。また、この洪水の際、それまで西側を流れていた川が町の中心部をほぼ完全に飲み込む形で東側へと移動し、同地域はイリノイ州でありながら川の西岸側に位置することとなり、隣接するミズーリ州と何度も州の境界線、カスカスキアの帰属を巡って争うこととなった。1901年の洪水では旧州議会議事堂も水没し、町はさらに衰退した。 1970年、連邦最高裁判所はミシシッピ川の中州となっていた同地域のほとんどをイリノイ州のものとし、現在の境界線が成立。長年続いていた境界線の論争は終止符を打った。当時の同地域全体の人口は70人、カスカスキアの人口は32人であった。尚、その後もこの地域は度々大洪水に襲われ、1993年のアメリカ中西部大洪水後には、ほとんどの住人がこの地を去ってしまった。 現在、旧カスカスキアの中心部はミシシッピ川に水没し、当時の栄華を偲ばせるものはほとんど残っていないが、「西の自由の鐘」と呼ばれる鐘を収めている、カスカスキア・ベル聖堂 (Kaskaskia Bell Shrine) が村内に建っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カスカスキア (イリノイ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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